透明な日常

今朝のラジオで、「選び疲れ」という言葉を聞いた。

一種類の商品だけを販売する専門店が増えている、というのはそういう理由らしい。

 

二年前の春頃、SNSをやめた。タイムラインで他人の良いところだけ切り取られた情報を受けて、落ち込んだり卑下するのもおかしな話だし、何よりそんなものに左右されている自分が嫌になった。

LINEもやめてしまいたかったし、スマホもガラケーに戻したかった。むしろ携帯いらないなあ、、なんて思ってた。

さすがにそれは周りからの不便だというブーイングで思いとどまったけれど。

 

シェアハウスに住んだことがきっかけで、またFacebookを始めた。いわゆる「友達」は300人を超えたけれど、そこにつきまとう疑問と孤独はきっと消えることはないんだろう。

ただ、ちくいち連絡をとっていなくても、自分の生存を伝えられる手段でも、知る手段でもあるから、元気にやってるんだな。と知れるのは良いことだと思う。

 

つまるところ、何が言いたいかというと、情報が多すぎる。

ライター業を始めてから、数年ぶりにTwitterを使っているけれど、個人個人の様々なつぶやきに、正直少し疲れた。

いろんな考えがあっていいし、否定も肯定もしない。どちらでもいい。

そうして無関心になっていく私には、きっと向いていないのかもしれない。

「いいね」ボタンは、承認欲求をうまく利用したシステムだなあとは思うけれど、そんな数値ではかれないものがたくさんあると思うんだけど。

とかいう理屈野郎向けには作られていないことは、わかっている。

 

スマホがあるから、パソコンを開かなくても常に仕事のメールもチェックできてしまう。送ったメッセージも、既読かどうかわかってしまう。

こうしてどんどんと明け透けになっていく日常に、少しくらい反抗していたいと思うのです。

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